熊野古道をメインテーマとして、南紀勝浦の温泉をベースにゆっくり見て回った。
もともと、熊野古道は熊野三山、すなわち熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社への参詣道を指すものだが、紀伊路(紀伊半島西岸)、小辺路(高野山と熊野を結ぶ)、伊勢路(伊勢神宮と熊野を結ぶ)の3本の主要ルートがあり、さらに紀伊路は田辺で山中を行く中辺路と海沿いを行く大辺路と分れている。
まず訪れた熊野那智大社は、主神が熊野夫須美(ふすみ)神で、丹塗りの拝殿が続いている。
那智山青岸渡寺は、仁徳天皇の頃、インドから漂流してきた裸形上人が開祖と伝えられる寺で、本堂は豊臣秀吉が再建したものという。
近くに見える那智の滝(飛瀧神社)が、那智大社の信仰の起源とされている。
参道の途中にある大門坂は、苔むした石畳道で、樹齢を重ねた杉の木立と共に、熊野古道のイメージにピッタリである。
海岸沿いには、弘法大師と天邪鬼が橋を架ける競争をしたという伝説の残る橋杭岩や、鬼が城、鬼が岩などの風光明媚なポイントが多い。
次に訪れた高野山への道は、最近よくなっており、勝浦から車で3時間半ほどで行ける。
弘法大師空海が密教の道場として開いてから、今年が1200年目にあたり、金堂の秘仏御本尊が80年ぶり、金剛峯寺の持仏御本尊が16年ぶりに御開帳になっている。
金剛峯寺には、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所があり全国及び海外の末寺四千か所、一千万の大師信徒の信仰の中心になっている。
海外からの観光客も多く見かけたが、宗徒のグループも多く、神奈川県から千人がバスを連ねて来ていた。
最後の熊野古道めぐりでは、宿の休暇村が組んでいた「世界遺産熊野古道中辺路てくてく歩き」の一行と共に、熊野速玉大社を参詣後、発心門(ほっしんもん)王子―伏拝(ふしがみ)王子―熊野本宮大社―大斎原(おおゆはら)を、地元の語り部の説明を聞きながら、のんびり歩いたが、天気も良くさわやかな1日となった。
熊野本宮大社では、まず中央の主神家津御子神[けつみこがみ 素戔嗚尊(すさのおのみこと)]、次に左の速玉神、最後に右の天照大御神を拝むようにと、語り部が話していた。
大斎原は、1889年(明治22年)の大洪水で流失するまで熊野本宮大社のあった地で、現在大きな鳥居がある。
途中で昼食になったが、温泉の湯を使った温泉コーヒーがおいしかった。
前回訪れたのが大学に入ったばかりの頃で、当時はやった国鉄の周遊券を使い、伊勢志摩のあたりから時計回りにぐるっと紀伊半島をめぐり、奈良に寄って帰ってきたことがあるが、もう半世紀も前になる。
家々の様子などはすっかり変わっているが、自然と歴史的建造物の寺社は変わらず、改めて日本の美しさ、良さを味わうことができた。